<経歴>
1935年群馬県生まれ、在住。
2008年、農民文学賞。
詩集『頬かぶり』、『生産』、『川岸』、『萩の花』、『握り拳』、『記憶』、『黒い蜻蛉』、『たわいないうた』、『ふるさとひろって』、『日本国憲法の本』、『引き出しの奥』、『上毛野万葉唱和』、『野の民遠近』、『おじぞうさんと生きものたちと』、『金婚』、『記念樹』、『大塚史朗詩選集一八五篇』、『昔ばなし考うた』、『千人針の腹巻き』。
詩人会議、群馬詩人会議、群馬詩人クラブ、群馬ペンクラブ、各会員。
<詩作品>
頬かぶり
頰かぶり
手ぬぐいを広げてすっぽり頭からかぶり
鼻の下でしっかり結ぶ
顔が見えないのでどろぼうかぶりともいう
耳も聞えないし
言葉を発することも困難だ
他人の云うことを聞こえないふりをするのも頰かぶりと いう
上州の冬は風がきつい
戸外へ出れば砂ぼこりと寒さが皮ふにつきささる
ときどき越後の雪がふっとってくる
麦ふみをするときも
ギャンブルで財布をからっぽにしたときも
頰かぶりをして
前こごみになって歩く
頰かぶりの歴史的使用常習者である上州の人
一九七五年五月
おれたち駒寄農民は
長い間かぶり続けた頰かぶりをとって顔をさらし
言葉をさがし
火をもやす
年間二十七万五千円きり認めない若者の給料
かあちゃんの昼も夜も働いたかせぎはやはり最高
二十七万
何十年間働いてもはたらきぶんを一銭も認めない農
地の相続
百姓をやめなければ
食いものをつくればくれない農業者年金
おれたちはなれない手つきでペンをにぎり
少ない脳味噌をしぼりあげ
紙面をすべる指先はのろい
それでもやっとまとめあげて
何とか改めなければとおずおずあたりを見廻すと
いち早く壮年部の仲間が賛同し
意気のいい青年部の諸君も同調
かあちゃんたちのマンモス婦人部も何度も首を上下する
畜産協議会の実力者も応援すれば
農地を守る農業委員さんも動き出す
村会議員の先生方も一致団結すれば
われらの農協組合長さんは
大きい声でどこへ行っても進軍ラッパ
群馬農協青年部のきんの玉子若者たちも
たき火もやし
中央会のだんな方の重い腰も歩きだす
日本農業新聞がマイクをかついで訪れると
日本で最大の発行部数をほこる「家の光」の協会の
「地上」の記者佐藤さんも若い農民の熱気にうたれて紙 面を沢山ついやしてくれた
税務専門家の石岡さんは
わざわざ前橋まできて
か細い老体に
力をこめて励ます
〈税の改革をさけんで立ち上ったあなたがたは立派だ
日本農民の幸せを築くため
封建時代から続く制度を壊す突破口として
ねばり強くがんばってくれ〉
そこで記録係の私はたずねる
この前たのんだ建議書に
われら群馬の大先生
福田さん
中曽根さんは何と答えてきましたか
〈いやいやそれが
郵便物が滞貨してるか
就職あっせんが忙しいのか
お願いしてからみ月たっても
のれんにうでおしぬかみそに釘
何の返答もない一方通行〉
おれたち
またまた立ちどまり
首は傾く
上州の人は頰かぶりの常習者
背広を着ても
暖房のきいた赤ジュウタンを闊歩しても
やはり頰かぶりの手ぬぐいは
今も口元にしっかり結ばれているか
*四十九年度、農業白色申告専従者控除
赤まんま
〈おまえうたうな
あかままのうたうたうな〉
とうたったなかのしげはるさんよ
あなたのうた大好きだったが
今も尊敬しているが
おれはうたう
あかまんまのうたうたう
勿論腹の足しにもならないし
行く人々の胸郭にたたきこむ
ことなんかできないけれど
おれはうたう
あかまんまのうたうたう
誰もうたわなくなってしまったから
うたう
今年は冷たい雨が続いて
秋祭りが過ぎても
たれさがることを忘れた稲穂をさすり
何度も溜め息をもらしながら
突立っている畦の上
刈り取っても
切り取っても
小さいからだに
天を突きさすタネいっぱい実らせて
色染めを落とし過ぎた
赤飯をばらまいたごとく
咲き競っている
夕焼けの光にゆれる
赤まんま
かつて父祖たちの秋
みのりの季節迎えても
白まんま
茶碗いっぱいに盛り上げて
目の前に現れるのは
土葬される夕べだった日
刈り取りあとの
痛む腰さすりさすり
領主にも
地主にも
強制供出にも
脳味噌痛めることなく
収穫したものすべて食膳に上ること夢見て
あかい草の実
祭りの朝の
婚礼の夜の
赤めしのごとく喰べられたならという
願いと怨念のしみこんでいる
草の花
一九七六年・秋
やはりまっかっか
まっかっかの夕日に
稔らない稲穂
白くすきとおり
風にさらさら音たててる
田んぼにたたずんで
前渡金の返済や
機械屋からの請求書のことや
農薬や肥料代や借金や
刈り取り前から
出稼ぎに出た
友のあんじょう気遣いながら
今日も一日
赤まんま
せめてこれがあかいおまんまだったらと
願いをこめた
先祖たちの歴日が
肩すぼめながら
突立っている
おれの胸郭にどっと
侵入してくるのだ
赤まんま